最近思うこと&自分への戒め

TechCollab2007-03-07


今日は、技術ネタではなく仕事をする意義について論じてみようと思う(ちょっとしたコラムを書くような勢いで書いてみます 30分以内で)。

以下は、月刊「コンピュータワールド」2007 Aprilの中の紙のブログというコーナーでの江島氏のカラムをはしょりつつ抜粋したもの。

[満ち足りた社会の中で働くということ]
世界65億人もの人間を食わせるために65億人もの労働力はいらず余剰物資を不足地域へ配分さへすればよい。職場を振り返ってみても、おしゃべりやWEBサーフィン、無駄な会議、メールのやりとりなどの非生産的な活動も実際多く存在し、余剰な生産を意識、無意識問わずにしている。この非生産的な仕事により1日が終わってしまった際には、とてつもない虚無感を感じるものでありなんともいえない脱力感を得る。
結局人間というものは誰にも必要とされないまま生きていけるほど強い存在ではない。自分の仕事をすることは何らかの意味があり、それにより誰かが幸せになる、という実感もなくただ余剰物資として処理されるのはとても言葉で言い表すことのできない悲しいものである。現代人はこの余剰の社会の中で自分の意義を自分なりに見つけ出さなくてはならない。あなたは何のために、だれのために、働いていますか?

これは、自分が社会人におなって常日頃に思うことだが、これを思っている人は多々いると思う。仕事の忙しさをステータスのようにいう人間もいるが、

  • その仕事は本当に忙しいのか?
  • 自分の能力不足のための忙しさになっていないか?
  • 仕事は他の人に任せられないのか?
  • その仕事の最終目標は?
  • その仕事を成し遂げることによって得られるメリットは?

ということはしっかり意識してあるべきなのに、これを考えずに忙しい、忙しいといって仕事をしている人は現実的におおい*1。つまり本質を意識しようとしていないのだ。もしくは、意識しているのだけど時間による給与体系の基でそこまで効率的に仕事をする意味はなく、あえて本気モードで仕事をしていない人もいるだろう*2。大体、世界に自分しかできない仕事なんてないのが現実なのです。そこらを考慮してむしろ世界に自分だけしかできない技術を身につけるべき。

何にしても、物事の本質を考えようとしていない人というのはまわりに結構いるのは事実である。

ここでITの話になるが、最近「エンタープライズの世界にもWEB2.0を取り入れろ!」ということで社内ブログだ、社内SNSだ、という動きが見られる。集合知を目指し、情報共有、ナレッジマネジメント、ということで議論されているが、あくまでもここらのゴールは有効な情報が人に吸収される、ことであるはずなのだ。個人からの情報を集約してもそれを提供する時点でポータルからたどってください、じゃまったくの意味がない。最終目標は、RSSRIMOのようなイメージの、各個人にとって最適な情報をシステムが予測して配信してくれ、検索という人間の手や思考を介さないシステムの実現のように考える。

繰り返しになるが、物事の本質を考えることが大事なことである。仕事に生きがいを見出してそれに没頭するのも人生であり、カフェにいったり、音楽/スポーツを楽しんだりするのも立派な人生である。ただ、その意義もわからずに仕事に追われるのだけは1度きりの人生としてとてももったいないことのように思える。

まわりにも4月から社会人デビューする人間がいるので、その方々に意識してもらえれば幸いです。なかなか、この手の文章は書きなれていないのでうまく書けず;まあこれも練習ですね。

*1:ここらの話は歴史のある割と大きめの会社に共通していえることだと考えます。もちろん、外資とかベンチャーなどはそんな悠長なこともないかと;

*2:White Collar Exemptionは、経営者のコスト削減という裏の目的はさておき、自分は賛成です。柔軟な給与体系があってもいいのではないか。